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鼕の歴史『松江の鼕』発刊
 (松江市鼕行列保存会創立四十周年記念誌) 



 ◇鼕の歴史◇
■鼕行列・宮行列史
【松江の鼕】
■はじめに
■左義長
■松江藩の左義長
■漁村の左義長
■農村の左義長
■町方の鼕叩き
■鼕行列の始まり
■現在の鼕行列
■鼕の叩き方
【松江の宮練り】
■歳徳神どんど行事
■歳徳宮について
■宮行列について
◆編集後記


松江藩の左義長


 江戸時代の代々は将軍家が左義長行事をなし、やがて各大名もこれを取り入れた。松江藩でも、直政公の時代から行われた。これは毎年一月十四、五の両日で、藩主が江戸へ参勤の十四日のみ行われた。

十四日には、御家中馬持の面々は陣笠を戴き、ぶっさき羽織に馬乗袴、紺足袋着用、十五日には、朝から火事羽織着用で乗馬、午後には城山大(追)手前広場に、二本の新木(しんぼこ・神木とも称し、真竹または孟宗竹)を立て、社殿風になぞらえた新木小屋をしつらえ、京橋北詰の勢溜まり(せいだまり・今の合銀北支店から京橋川筋のもと“青湯”までの奥入り一帯)にも真木小屋をつくった。

 大手前の真木のぐるりには、正月祝いに使用した注連縄(しめなわ)やさかきなど堆高く積み上げる。
御台所奉行が年男をつとめ、鼕の音を合図に真木小屋に入って火をかければ、やがて猛烈に燃え上がり黒煙はもうもうと沖天にみなぎり、青竹はボンボンと破裂する。

やがて真木は恵方(えほう)にむけて倒されるとそれを合図に、待ちかまえていた乗馬の武士達は、「それっ」とばかりに真木のぐるりを三回廻った後駆け出す。

大手前、二之丸、南北殿町、米子橋通りの順路を通って勢溜まりに到着する。鼕は盛んに打ち鳴らされる。ここで一番二番の者を優勝者と定める。
この日藩公は火事装束を着用し、大手前の南で堀を後ろにして上段に座を構え、そのぐるりにはお側勤めの人々勢随従してご覧になる。

藩公の前を乗馬の武士が走る時には、「ハイョウ」と声をおかけになる。人馬共に勇んでおどり上がり、いよいよ駈けだして出して行く。
当日は各屋敷の見物人、在郷からわざわざ出掛けた人々数千人で賑わったという。

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